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昭和時代に毎日渋谷にある学校に通っていた私には渋谷の変化はいつだってノスタルジックです😢東急文化会館が無くなった頃から、ひとつひとつ青春の面影が消えていってる。
時たま、授業と授業の合間に、東急文化会館の裏通りの映画館に行きました。シドニー・ポアチエの『夜の大捜査線』も、そこで見ました。
109が開業した頃、東横店も本店も無い未来の渋谷なんて想像すらできなかった。
30年くらい前 恋文横丁跡の碑文のちょっと入った辺りに何件かまだ飲食店があり入って左側の店で酒を飲んだ記憶があるんですが 夢か記憶が錯綜しているのかどうだったんでしょう
渋谷勤務が25年にもなりました。恋文横丁の碑はずっと見てました。玉久が閉店し、東急本店、東横店もありません。麗郷、喜楽、福田屋のある通りが横丁の雰囲気をとどめています。ベーカリーは15年くらい前に閉店しました。
「手紙の店」の店主、菅谷篤二は終戦時、陸軍参謀本部の中佐、戦後追放されていた時の代筆依頼をきっかけに開店したそうです。彼の回想(「渋谷は、いま」)では、客の依頼をまず聞き、金目当て、結婚希望等の事情にあわせて文面を書いたそうで、やがて国際結婚希望がほとんどになったと語っています。想像していた姿とは異なり、やや意外な感もします。晩年は論文翻訳もやっていたそうで、彼の歩みは、戦前~戦後の時代潮流と重なるようです。
回想「渋谷は、いま」は書籍でしょうか?
@@hermes0825love さま書籍です。『渋谷は、いま』(渋谷区企画室編 渋谷区発行 1982・10)のp82に菅谷氏の記事が載っています。
昭和57年に刊行された書籍ですね私も読みたいと思い検索するとそうでした
進駐軍兵に恋文を書いた女性が多かったってことですね。なんだか複雑な気持ちになります。
恋文と言えば聞こえは良いが殆どは営業でしょ?吉原遊女の手紙みたいな物の方が多かったと思う
いつも有難う御座います。昭和38年に無くなっていましたか。私が昭和45~46年頃に見た恋文横町はその跡という事でしょうか。今はスペイン坂と呼ばれる階段も昔はお医者さんがあったり普通の家が並んていました。今の渋谷は変わり過ぎてわかりません。
空が見えなくなって吐き気がする。風情のかけらもない。
百軒店にあったスナック「グリーン」もう無かったな。ご夫婦、ご存命なら109ぐらいか。
かつて建物だったところに道ができ、かつて道だったところに建物ができ…。今ある最先端の町並みもこれからどんどん移り変わっていくんでしょうね。
3月久し振りに渋谷行ったら私の知ってる渋谷ではなくなってました。
三丁目の夕日の時代ぐらいですかね、日に日に街が新しく生まれ変わっていった中、かつてこんな路地があったというのもひとつの歴史ですね。そうですか、東急百貨店も無くなったんだ・・・
昭和20~30年代くらいの古い映画には、代筆屋が出てきました。
時は流れる。だから時間は必ずや別れを生み出し、それ故時間は必ず後悔を残す。本当に好きなら、遅滞なく伝えなければならない。僕は後悔ばかりの人生でした。今回も貴重な捜索ありがとうございました😂
早朝からご苦労さまでした。ありがとうございます❤
恋文横丁の名前は聞いたことがありますが、自分が生まれる11年前には消えていたんですね。。。渋谷も学生時代はよく行ったところですが、平成の面影も消えつつありますね。時の生まれ変わりは期待とともに残酷さも感じます。
早朝の時間でも、人通りが多いですね~。正に眠らない街ですね💡‥
渋谷といえば私にとっては百軒店通り。中でもジャズ喫茶「ブラックホ━ク」が私にとっての渋谷です。もちろんもう無くなってからも30年以上はたっています。 今でも上京の度、訪れております。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo et bon dimanche ! 🌟
恋文横丁とか代筆とか、響がいいですね。落語やドリフのコントにも、代筆を扱った話がありましたね。そう言えば、渋谷で山口百恵を見たことがありましたよ。新曲のキャンペーンだったかみたいでした。1973か4年頃です。
当時の渋谷は普通に芸能人が居たよねw楽器屋に人盛りが出来てると見てみたらサザンの大森君が試し弾きしてたしシェイキーズの長テーブルでツイストの鮫島さんが横に座って来たり居酒屋で中村雅俊さんが横のテーブルに居たりシブがき隊のやっくんが歩いてて女の子が追っかけまわしてた事も有ったwwなんか普通の事だった
0:03推しの子2期の広告w
田舎者なので、渋谷は若い頃からあまり縁がないエリアでしたが、無機質なビルへと様変わりしてしまうのは寂しいです。就職と共にこちらへ移住しましたが、必要がないと行くことはなく、ここ最近10年は全くエリア内には入ってないなあ。画像にあった、割烹着姿の店員さんが出迎えてくれる昭和の渋谷は行ってみたいですね。生まれてくるのが遅かったのが悔やまれる。😆
「恋文横丁」の当時の様子を一番知ることのできる資料としては、1953年の映画『恋文』でしょうか。まさしく、この動画で紹介されてる英文代筆屋が元ネタとなっている映画です。周辺の様子がふんだんにロケ撮影されており、当時の住宅地図で実在する店舗が何軒も確認され、映像資料としても貴重だと思います。ちなみに映画の中でロケ撮影されたと思われる看板には「すずらん横丁」とあり、当時はそのように名付けられてたようです。
くじら屋さん移転してたんですね(行ったことないけど^^)
まだ安藤組が支配していた時代ですね^^
昭和時代に毎日渋谷にある学校に通っていた私には
渋谷の変化はいつだってノスタルジックです😢
東急文化会館が無くなった頃から、ひとつひとつ青春の面影が消えていってる。
時たま、授業と授業の合間に、東急文化会館の裏通りの映画館に行きました。
シドニー・ポアチエの『夜の大捜査線』も、そこで見ました。
109が開業した頃、東横店も本店も無い未来の渋谷なんて想像すらできなかった。
30年くらい前 恋文横丁跡の碑文のちょっと入った辺りに何件かまだ飲食店があり
入って左側の店で酒を飲んだ記憶があるんですが 夢か記憶が錯綜しているのかどうだったんでしょう
渋谷勤務が25年にもなりました。
恋文横丁の碑はずっと見てました。
玉久が閉店し、東急本店、東横店もありません。
麗郷、喜楽、福田屋のある通りが横丁の雰囲気をとどめています。
ベーカリーは15年くらい前に閉店しました。
「手紙の店」の店主、菅谷篤二は終戦時、陸軍参謀本部の中佐、戦後追放されていた時の代
筆依頼をきっかけに開店したそうです。彼の回想(「渋谷は、いま」)では、客の依頼をま
ず聞き、金目当て、結婚希望等の事情にあわせて文面を書いたそうで、やがて国際結婚希望
がほとんどになったと語っています。想像していた姿とは異なり、やや意外な感もします。
晩年は論文翻訳もやっていたそうで、彼の歩みは、戦前~戦後の時代潮流と重なるようです。
回想「渋谷は、いま」は書籍でしょうか?
@@hermes0825love さま
書籍です。『渋谷は、いま』(渋谷区企画室編 渋谷区発行 1982・10)
のp82に菅谷氏の記事が載っています。
昭和57年に刊行された書籍ですね
私も読みたいと思い検索するとそうでした
進駐軍兵に恋文を書いた女性が多かったってことですね。なんだか複雑な気持ちになります。
恋文と言えば聞こえは良いが殆どは営業でしょ?吉原遊女の手紙みたいな物の方が多かったと思う
いつも有難う御座います。昭和38年に無くなっていましたか。私が昭和45~46年頃に見た恋文横町はその跡という事でしょうか。今はスペイン坂と呼ばれる階段も昔はお医者さんがあったり普通の家が並んていました。今の渋谷は変わり過ぎてわかりません。
空が見えなくなって吐き気がする。風情のかけらもない。
百軒店にあったスナック「グリーン」もう無かったな。ご夫婦、ご存命なら109ぐらいか。
かつて建物だったところに道ができ、かつて道だったところに建物ができ…。
今ある最先端の町並みもこれからどんどん移り変わっていくんでしょうね。
3月久し振りに渋谷行ったら私の知ってる渋谷ではなくなってました。
三丁目の夕日の時代ぐらいですかね、日に日に街が新しく生まれ変わっていった中、かつてこんな路地があったというのもひとつの歴史ですね。
そうですか、東急百貨店も無くなったんだ・・・
昭和20~30年代くらいの古い映画には、代筆屋が出てきました。
時は流れる。だから時間は必ずや別れを生み出し、それ故時間は必ず後悔を残す。
本当に好きなら、遅滞なく伝えなければならない。
僕は後悔ばかりの人生でした。
今回も貴重な捜索ありがとうございました😂
早朝からご苦労さまでした。
ありがとうございます❤
恋文横丁の名前は聞いたことがありますが、
自分が生まれる11年前には消えていたんですね。。。
渋谷も学生時代はよく行ったところですが、
平成の面影も消えつつありますね。
時の生まれ変わりは期待とともに残酷さも感じます。
早朝の時間でも、人通りが多いですね~。正に眠らない街ですね💡‥
渋谷といえば私にとっては百軒店通り。中でもジャズ喫茶「ブラックホ━ク」が私にとっての渋谷です。
もちろんもう無くなってからも30年以上はたっています。
今でも上京の度、訪れております。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo et bon dimanche ! 🌟
恋文横丁とか代筆とか、響がいいですね。落語やドリフのコントにも、代筆を扱った話がありましたね。
そう言えば、渋谷で山口百恵を見たことがありましたよ。新曲のキャンペーンだったかみたいでした。1973か4年頃です。
当時の渋谷は普通に芸能人が居たよねw楽器屋に人盛りが出来てると見てみたらサザンの大森君が試し弾きしてたしシェイキーズの長テーブルでツイストの鮫島さんが横に座って来たり居酒屋で中村雅俊さんが横のテーブルに居たりシブがき隊のやっくんが歩いてて女の子が追っかけまわしてた事も有ったwwなんか普通の事だった
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田舎者なので、渋谷は若い頃からあまり縁がないエリアでしたが、無機質なビルへと様変わりしてしまうのは寂しいです。
就職と共にこちらへ移住しましたが、必要がないと行くことはなく、ここ最近10年は全くエリア内には入ってないなあ。
画像にあった、割烹着姿の店員さんが出迎えてくれる昭和の渋谷は行ってみたいですね。生まれてくるのが遅かったのが悔やまれる。😆
「恋文横丁」の当時の様子を一番知ることのできる資料としては、1953年の映画『恋文』でしょうか。
まさしく、この動画で紹介されてる英文代筆屋が元ネタとなっている映画です。
周辺の様子がふんだんにロケ撮影されており、当時の住宅地図で実在する店舗が何軒も確認され、映像資料としても貴重だと思います。
ちなみに映画の中でロケ撮影されたと思われる看板には「すずらん横丁」とあり、当時はそのように名付けられてたようです。
くじら屋さん移転してたんですね(行ったことないけど^^)
まだ安藤組が支配していた時代ですね^^